G(ay)的生活~地味ゲイの日記~

都内住み地味ホモのまとめ

ゲイ カミングアウトの勇気2

幼馴染のH田には自分がゲイであることを打ち明けようと思い、深夜帰り間際に声をかけた。

H田は少し不思議そうな顔をしながらも、

「あーうん、いいよ。じゃあジョイフル行こうか」

 

関東圏の方は知らないかもしれないが、ジョイフルという関東でいうサイゼのような立ち位置で、当時は500円払えば定食が食べられるようなリーズナブルな若者に優しいファミレスがあった。(あ、今でもあります

 

Uターンしてジョイフルに向かう。

 

二人深夜のファミレス。

 

少し緊張しながらも、こいつならきっと受け入れてくれるだろう。

でももし、自分がゲイであることを伝えた時、引かれてしまって今までの友達関係が拗れてしまったら。。。果たしていう必要があるのか。やっぱり俺のエゴなんじゃないか・・・。

 

と思いながら口火を切る。

「あのさあ。」

 

「うん。」

 

「俺さー彼女の話とかせんやん?」

 

「うん。そうやねえ。」

ここで少し言葉に詰まる。核心をついた決定的なこの言葉でもしかしたら絶交もあるかもしれない。

 

「あのさ、俺、女の子が好きっていうか、男の方が好きなんよね。

 

 

「ふーん。そうなんや。いいんやない。」

 

!?

 

あまりにも普通な返答に驚いてしまい、言葉を失った。

え、もっとなんか聞くこととかないん?驚いてないの?きもいとかそういうのは?

 

思わず俺はH田に「これ聞いて驚いたりせんのん?」と聞いた。

 

「うん。男が好きで、これからずーやまは何か変わるん?違う人になるん?」

 

「いやそれはないね。俺のままよね。」

 

「それならなんも問題ないよ。」

 

俺はH田の懐の深さを侮っていたようだ。

と同時に、性的な指向で友人関係が崩れるのではと考えた自分が少し恥ずかしくなった。

 

H田にとって、大切なのは個人の持つ背景じゃなくて、今その場にいる俺だった。

自分がゲイであることを必死に隠し続けた20年間。誰にも打ち明けたことはなかった。

もちろん親にも。親だからこそ打ち明けてこなかった。

 

中高生の頃よりはある程度苦難は乗り越えて、自分のパーソナルな部分もなんとか消化して受け入れられるようにはなった。それでも、他人にはきっと受け入れてもらえないだろう。

これは絶対に言ってはいけない機密事項のなのだと心深い場所で厳重に何重にも鍵をかけてきたのだった。

 

それを意図も簡単にそしてしなやかに受け入れてくれたH田には感謝しかない。

 

ただ、今振り返ると思う。もし逆の立場でも俺はH田を受け止めただろうって。H田とは小学生頃からずっと付き合いもあるし、絶対的な信頼を寄せている。こういう友達に出会えたことは本当に嬉しいことだと思っている。

 

またもう一つ感じることは、このように自然と受け入れられたことは環境によるものが大きいと本当に思う。どれだけ相手を信頼していても知らないものは怖いものだ。もし、H田がセクシャルマイノリティに対しての知識が浅かったら・・・周りのヘイトが強かったら・・・

 

また違う結果になったかもしれない。

 

この時代生まれてよかったと思う。

 

さて、最初の話に戻りたいと思うが、

俺、マジでそっちのケないから。それだけは言っとくから。

この発言に対しては猛抗議したい。

 

これをいうやつは2つ勘違いをしている。

1つ カミングアウト≠告白 だということ。(結果的に告白に繋げるパターン絶対にないとは言い切れないが。)ノンケは異性だったら誰でもいいのかと考えて欲しい。きっとそれぞれタイプなりなんなりあると思う。それと一緒だ。

 

ゲイだからと言って男なら誰でもいいわけではない。超当たり前のことである。

 

俺の個人的な好みを言わせてもらうならば、高身長で爽やか童顔に弱い。大谷翔平とかドストライクである。一方で、メガネをかけたようなヒョロイ男には何も感じない。

 

多分きっと、ノンケと同じだ。電車で可愛い女の子を見たら「わ、、可愛いなあ〜」とちらっと見るだろう。ただ、そこから着いていって触ったり、話しかけたり、一般的にはしないだろう。それと同じだ。

 

2つ カミングアウトした相手は、自分に受け止めて欲しい。(受け止めてくれるだろうという信頼を寄せている)と思っているということ。

はなから拒絶するような相手にはカミングアウトなんかしない。きっと相手は勇気を振り絞ってカミングアウトをしているはずだ。それを全て受け入れろとは言わない。だって相手も勝手にカミングアウトをしているのだから。エゴと言われればその通りだと思う。

ただ、人としての気持ちとして互いを認め合ったり、尊重することは大切だと思う。

 

前提としてセクシャルマイノリティで勘違いされやすいのが、「男を好きになろうとして、男を好きになっているんだろう」ということ。

多様な生き方を大切にする昨今では選択の自由が保証されていると思う。なりたい自分になるということ。

でも、俺は男が好きになりたくて自分で選んでゲイになったわけじゃない。

幼稚園の頃から男の子が好きだった。俺の意思ではない。選択してゲイになったわけではないのだ。

 

どうしようもないことが世の中には溢れている。

せっかく同じ時代に生きている人間同士。分かり合える部分がわかり合おうとしながら、互いに気持ちよく生きていく方が互いの利益になるのではないかと思う今日この頃です。